「わかる」という事

仕事
が出来る人は、人を育てられない?■
実際に仕事
が出来る人が育てられない理由として良くあるのが、
仕事
が出来る人にとっては、
「出来る事が当たり前」であって、
「なぜ出来ないのか?」が、理解出来ない為、というのが通説です。


しかし、実際全ての仕事
が出来る人が、人を育てられない訳ではなく、
私が見る限り『理数系の脳で仕事
の出来る人」』は、
上記のように、人に教えるの事に困惑するケースが多いように見える。
理数系というより『左脳インプット
、左脳アウトプット
型の人』
という風に言った方が、良いのかもしれない。


なぜかと言うと、
理数系の脳というのは、論理
的に形成された思考で物事を考えるので、
非常にスマート
に作業をこなす事が出来る。
しかしこの「論理
的に形成された思考」というのがネックで、
相手がどの部分で悩んでいるかを理解できない上に、
自分の論理
的な思考を伝える事がなかなかできない。


ちょっと無理やりというか、極端なケースですが、
例えば「目玉焼
きを作る」というレベルであれば、
タマゴとフライパン
フライ
返しとガス台と箸があって、
「タマゴを割る、フライパン
で焼く」そうすれば出来ると、
この位は普通
想像
できるので、これを教えるのは非常に簡単です。



しかし「肉じゃが
を作る」となると、
食材
は色々あるし、だしの作り方もあるし、煮込む方法もあるし、
細かい部分で色々知らないといけない部分がある。


その製法を知っている人にとっては、肉じゃが
を作れる事は当たり前でも、
知らない人には、逆にまったく分からない。
醤油
だけで作ってしまうかも知れないし、煮込む時間も分からない。
※少なくとも、私には肉じゃが
は作れない。


その「肉じゃが
を作る際に必要な知識」この中で、
「切る、煮る」以外の部分も教えないといけないのだが、
出来る人は、そういう部分を教える事を見落としているケースが多い。


出来る人にとって「だしの調合具合」とか「煮込む時間の判断」は、
一種のルール
であり、当たり前の事であるのだが、
基本的に「出来ない人」というのは、前に無意識
の意識のコラム
でも書いた通り、
『表面上の出来事』しか見ていないので、
「材料を切って、適当
な味付けをして、煮込めば出来る」と思ってしまい、
肉じゃが
作りの肝心な部分を見落としてしまう。


そこで「出来る人」は、
「みりん入れて」とか「肉を入れるタイミング
」とかを教える訳ですが、
「なぜ、みりんなのか?」「なぜ、このタイミング
で肉を入れるのか?」
こういった事を教えて上げられない。


「出来る人」にとって、
みりんを入れるのが「当たり前」で、
このタイミング
で肉を入れるのは「当たり前」だからだ。


この辺のさじ加減で、味のギャップが出てしまうのだが、
それを教えられないが為に、知らない人はそのまま鵜呑みにし、
指示された通りやれば、同じ味になると考える。


もちろん、指示された通りまったく同じようにすれば、同じ味になるのだが、
それでは「同じ味の肉じゃが
が作れるようになった」に過ぎない。
つまり他の料理
への応用が出来ないのだ。



何事も突き詰めていくと、基本は同じ。


何を教えるにしても、
その基本部分というのを、もう一度見つめ直して、
自分で再度納得した上で、解らない人に教えるという行為をしてみると、
また違った結果が見えてくると思うし、自分の中でのの消化率も高まるはずだ。