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『言葉』は『命』か

池田晶子氏の『あたりまえなことばかり』
という本を読んでいる。


本の内容は哲学なのだが、
その本のイントロダクション的な部分に、
下記のようにが書かれていた。


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人には言葉が命であることを、経験的に知っている。
死の床にある人、絶望の底にある人を救うことができるのは、
医療ではなくて言葉である。宗教でもなくて、言葉である。
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読んで『はっ!』としてしまった。

自分が自分であり、生きていること・・・
自分の内と外の世界・・・
アイデンティティ・・・
全て『言葉があってこそ』意識できている。


しかし『コミュニケーション』という括りでは、
バーバルとノンバンーバルが存在する。


ノンバーバルは、言語といいつつも、
直接は言葉を必要としていない。

赤ちゃんが泣いたり笑ったりするのが、ノンバーバルだが、
赤ちゃんが『言葉』を意識して泣き笑いしている訳ではなく、
本能でそうしている。


しかし、逆にそんなノンバーバルを使用する赤ちゃんを見る側、
つまり大人は、そのノンバーバルを言葉に変換し理解する。


ミルクやおしめ等、赤ちゃんは、ただ泣くだけで、
『言葉』を一切使用していないが、
大人は『感覚』で察知し『言葉』で理解する。



そのうちに、そんな赤ちゃんも言葉を覚える。


誰も強制していないのに、何故言葉を覚えるのか?


必要だからだ。


人間は『言葉』無しでは、生きていられないのだ。


人は『言葉』によって成長する。

そしてそれは、なんとも不思議な話だ。

ともすれば、やはり『言葉』は『命』であろう。



※おまけ
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佐藤雅彦先生の『イメージの読み書き』
この作品は『イメージ』というものを、
『読み書きしてしまおう』というところに凄さがある。
『イメージ』と『言葉』という、
ある意味、別次元のものを繋げてしまった。
※『ブリヨルガグールアト』なんて典型的。

だからこそ、面白い。
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